120名ほどの参加があり、盛会でした。
懇親会も60名くらいの参加がありました。
ありがとうございます。
次回は来年の3月か4月を予定してます。
現在の日本には、短歌、俳句、自由詩(狭義の詩)という三つの詩型があり、共存しているといって良いでしょう。
三つの詩型はお互いに影響し あっていますが、住み分けがされているのが現状です。
そのことが日本の詩にとって幸せなのかは、はなはだ疑問です。
当企画ではシンポジウム、ホームペー ジ、印刷媒体などを媒介とし、三つの型の交友の促進を目的とします。
それぞれの詩型の特徴や相違点を考え、時には融合するなどし、これからの表現の可能性を探ります。
戦後の詩歌の時間を問いなおす試みでもあります。
代表:森川雅美
実行委員:藤原龍一郎、筑紫磐井、野村喜和夫、高山れおな、
田中亜美、嵯峨直樹、山口優夢、岡野絵里子、
渡辺めぐみ、中川宏子、ブリングル御田
→参加の申し込みはこちらのフォームからどうぞ←
「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」マスコミ関係の取材も多く。申し込み115名で129席ほぼ満席です。ただ、当日キャンセルはあると思います。
詩歌梁山泊~三詩型交流企画」シンポジウム1部で取り上げる作品5(変更分)および6
中尾太一『御世の戦示の木の下で』(思潮社)より
アトモスフィア
東京、洞爺丸が消えたころ、屋堂羅の神社で首をつって死んだ男がいる、と聞いた
東京、類縁の男が事業にとめどなく失敗していた、首をつって死んだと聞いた
東京、山村開発センターで戦艦大和の元乗組員の講演を聞いていた、夏休みでプールの帰り
だ、グラマンが呼吸のために浮かび上がる油のなかの彼らを狙った、スクロール
東京、畳の上に蟻の行列の幻を見る祖父の手のことを最初の詩で書いた
東京、それ自身が失語を伴って現前する父の笑顔のおくゆきを探している
東京、ルビコン、アンフォルメル、雛罌粟、テクニクラート、知悉、跨線橋、パチルス、ノマド、劫初
東京、幾つの未決を越えているか、首都高速道路、東名自動車道路、名神自動車道路、中国自動車道路、国道二九号線、たいてい朝方に着くから夜は町の光は見えない
東京、深夜、白いTシャツを着て青看板だけを頼りに歩いている子供の集団を、ぼくは眺めていて、向うに野球場のボールと見まがうばかりの巨大な焼却炉が見えた
東京、傷は若さを止める、そして止揚されない、幾千にも枝分かれしていった局地へは赴かないが、幻影がそこにいる、それを壊しに行こうか、という飢餓、ノマド、ルビコン、、跨線橋、パチルス、エトセトラ
東京、光なしで写真が撮れるか、と聞いた
東京、光なしで写真が撮とったと聞いた
東京、隣の酒屋の店主が見えないと思ったら癌で死んでいた。その前に家を改築したという。
その必要があったらしい、と聞いた
東京、教会の帰り道に聖者のファシズムを空想した、あと「透明な人類」へ架ける橋を想像した
東京、最終的に死を投企した第一層の時間軸のさいはてで経験されたさいはての死を苦悶する自己が人間存在であり、その自己をわれわれが救い得た確証を求めて走る球体の外縁の、聖痕、そこから生える立木の、一葉一葉がかつてあり得ぬことと措定された現象の継続の光で濡れていること、その直覚が何年間もある
◇
この世の罪を被る
馬は老齢だった
老齢の馬とは話をすることが出来る、それはほんとうのことだ
ジョッキーでは補えない何かを僕は持っている
馬だってそうだ、競走馬じゃないから昔の話をする
ちりばめられたまっ黒な瞳で地球の年齢を知ったり
もっとこちに来てと
熱いほほをなでてやると父祖の言葉を眼から流した,カリュ―
イグエス、マノス、ドミノ、テキエロ、これらはラテン語かスペイン語か馬語か
「この世の罪を被る」という意味だった
僕はさらのに西へ向かった
この辺でホイトマンは民主主義をあきらめていたと思う場所には町が拓けた
ギンズバーグが山の中で書いた詩はべとべとの蜂蜜のにおいがした
そこに故郷がある、というをラテン語かスペイン語か馬語で
イグエス
マノス
ドミノ
テキエロ
サラムニ
となり、これは「この世の罪を被る」という、含意だった
みんな、何かを含意していた
故郷に帰れない何かを含意していた
それを伝えたいためにカリューは馬語以外の言葉を覚えるが
疲れたろ
もう、ほんとに馬かよ、君は
ほら、あすこで立ちすくんでいる人がいる
彼はぼくよりずっと年下で、ずっと賢くてやさしいから
随伴を頼めばいい
一番初めに彼は、君の体についた汚れを
青いタオルで拭いてくれるだろう
互いに帰る場所が違っても
行ける限りのところまでは一緒に行けるように
長い夜のあいだにそっと朝の
善と悪に満ちた予感を埋めに行くことも
彼の仕事だ
彼は君のことを好きになる
じゃぶじゃぶと水遊びをしていた川からあがって
君の体を触りに行く
カリュー、君はそんな子供のことをどう思う?
君の行き先が変わることがあにことを知っている
そんな子供の唇からこぼれる言葉を
低音のユニゾンで追いながら、いつか深い言葉で追い越して
イグエス、アノス、ドミノ
テキエロ、サラムニ、アイシテル
すべてこのよのつみをかぶるよ
※
大江麻衣「昭和以降に恋愛はない」(「新潮」7月号)より
夜の水
花に感動できません。乳首舐められても感動できません。どちらも自分は困らないけど、他人が困る。わたしは、おんなのひととして、色んなものが欠けているのだと、おもわれるのだけが困る。
最近の女子高生はふとい脚にも痣みたいな唇のあとをつける、それが短い制服のスカートの裾から見えると吐きそうになる。男子の唇の痕は汚い。男はなぜこの女子の、今まで他
の男が触れていないところを探さなかったのだろう、こんな太い脚の、ほんのちょっとに、汚い痕を、蚊のように、他の男が吸っただろう場所の上に、情けない、他のものが触れて
いない場所に興味がないなんて、全てに唇を触れようとすればこの女子の体はもう全部赤褐色になって本当に醜いのだけれども、そんな姿だったらわたしは感動して話しかけたい。
いやあもう本当醜いけどなんて素晴らしいこと!だけどまあ男子女子はそんなんで満足するのだった。そんなものでそんなもので、だから恋愛はだめだ、昭和以降に恋愛はない、街はいつでもばかみたいにセックスにしかみえない男子女子が連れ立って歩く、みんな死なないといけない。 そんな今の世の中でも海鼠はすてきだ、ただ、砂の上でじっとしていて、手で持つだけなら、それでもじってしている。感動はしない。神様、アダムは土からうまれた、土とは砂のことで、まずは性器から作ったのでしょう。粘土で作りやすいかたちをしているものね、てきとうに丸めたり伸ばしたり、そこから発生したのでしょうね、人間は。なので、海鼠はほんとうのほんとうに、最初の生きものなのかもしれませんね。『そうだね、海鼠は手で握ってみて、振るとだんだん硬くなってくるよ、中から白いのがびゅっと出てくるから、ね、海鼠。形質と質量がね。あんたさ、海鼠ばっかり触ってないで、自分が乳首で感じられないことについて、もっと真剣に悩んだほうがいいんじゃない『かな。ただでさえ汚いんだから』 君の考えからすれば、海鼠なんか人間の出来損ないだ(といって私の胸をさわる)、わたしはおんなだから、海鼠を料理せずにそのまま口に入れたり、さわったりしたいと思うのは、当たり前だということ。おんなも、たどっていけば海鼠から生まれた。人間が粘土に戻る時、人間は砂に還れても海鼠にはもどれない。海鼠はただ海鼠としてじっとしていて、振られることもないから硬くなることもない、ただ何にもならずにずっと、海鼠だけがみたいな、そんなことをしていても、置いていかれないような、生きていられるような、感動はせず、ただじっと、海鼠を、みつめる。
(胸と)腰以外を好きになってくれる男でもいたらいいな、だいたいがみんなそれを必死でこねる、発達しない。女子はひとりの夜いつも自分で自分をおしまいにする、自分でこねているとこの奇妙な形の性器一帯は粘土みたいに思えてくる必死でこねている、いやになる、作業。セックスはひとつとひとつの作業、だいたいが一人で持つ。みんながこうやって、こねているのだから…やさしいひとの顔さえも変な顔にみえてくる、怯える。そのひとが自分からいなくなってしまう!男はいいように触るので、その形は自分で直すしかないのだから、女子が性器をいじるのはそういうこと粘土ややわらかくするには水がいる。女子の水は体内から外へそっと出る、 夜に。
◇
金魚すくい
新聞の投稿覧を眺めていると金魚くさくなる。いつのまにかポイまで持たされていて朝からたまらない。みんな水面のほうを泳いでいる。言葉は活字になって水をゆらす。赤いのと黒いのが泳ぐのをみている。小学校三年生女子『家事の大切さを知り、母親に感謝』。母親は娘に作文を書かせた。「ゆいました、じゃなくて、いいました、と書きなさい」原稿用紙には大人の字がだんだん増えていくので書きなおす。宛先は、母親がえんぴつでした下書きしたもの上を娘が油性ペンでなぞる。すきまが余り無くむずかしい字はいびつな丸になる。水面に浮かぶ。担任先生が朝礼の時間に記事を読みあげる。水槽を通さないクラスメートの目、憂鬱、という言葉を少女はまだ知らないし読めないが、気持ちのうえではわかる。将来紙を書くことになる金魚はいらないのだと、見送る。夏頃になると、六十四歳男性『女性の露出、性犯罪を誘発』。数週間後にばしゃばしゃと反対意見が掲載される。よく見ると黒いのに白い斑点がある。金魚を選別しているところを見てみたい。言葉を声にすれば空気は割れるし書けば汚れる。傷つかないものがない。金魚は苦しいのか空気を吸いにきている。ポイを入れれば水がまた波打って金魚は逃げる。私も下手くそなのだ。金魚を乗せたポイはたちまち敗れて金魚は逃げた。「元気もらった」「若者よりも大人が」「夢」「乗車マナー」だとうまく逃げるが「最近のネット右翼について」「肥満は不快」「死んでみたいな」は、沈んでいるのか見えない。水の流れなど知るわけがない、見ているぶんにはきれいだね。透き通っていてどこからでも眺めている、まなざしだけがある。宛先はたまにしか載らない。それでも毎日金魚は生きていて水をかき廻している。
10月16日のシンポジウム、杉本真維子さんがどうしても避けられない急用で参加できなくなりました。
直前で申しわけございませんが、パネラーを杉本徹さんに変更させていただきます。
また、それに伴い取り扱う作品も、岸田将幸『〈孤絶ー角〉』から中尾太一『御世の戦示の木の下で』に変更させていただきます。
申しわけありません。
作品5つつめは自由詩(詩)です。
岸田将幸『〈孤絶ー角〉』(思潮社)より
(ここにはおまえの深いところにある声を、それが深ければ深
いほど喜んでくれる人たちがいる 詩はためらい切った人の声
だ おまえが深い声を漏らせば漏らすほど喜んでくれる人たち
がいる 詩は広い世界ではないけれどその空は舌が抜けるほど
高い 詩はおまえの時にまったく不可解な使命感も受け入れ、
やがてそのまま受け止めようとする人たちのもの だから詩を
書く人同士は怖しく離れている ここで書いている人は互いに
励まし合わなければならない 詩は慈悲深い絶壁だ 極限の人
間関係だ。人世に不足するのは何度でも愛され直される場所だ
そして愛という名の下に自由はない やむにやまれず出産する
宇宙の滲みども――)
◇
周りではタオルの縫製を内職としている家が多かった。おばちゃんの家には、道に面するタオルが積み上がった部屋とその奥、南側に台所があった。その向こうは知る術もなかった。家の横には小さなみかん畑があって、横からその向こう側を見ようと思えば見れたはずだが、そうはしなかった。タオルの積み上がった部屋におばちゃんはいなくて、その向こう側の台所にもいない。おばちゃーんと私は呼んで、台所を通り抜け勝手口を開けてその向こう側にいってしまった。おばちゃんはいま風呂に入っとによと笑った。明るい地方の人の明るさというものはある。おばちゃんは庭に、水を溜めた金だらいの中に素っ裸で納まり白いタオルで背中を洗って最中だった。おばちゃんは銀歯や金歯がいっぱいで、笑った時に見えるそのキラキラは忘れることができない。
「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」残り9席。それ以降は当日キャンセル待ちか、立ち(聞き〉です。
御中虫「第3回芝不器男賞受賞作品」より
じきに死ぬくらげをどりながら上陸
虹映る刃物振り振り飯の支度
結果より過程と滝に言へるのか
混沌混。沌混沌。その先で待つ。
季語が無い夜空を埋める雲だった
机を蹴る机を叩く私は蚊ぢやない
歳時記は要らない目も手も無しで書け
乳房ややさわられながら豆餅食う
この恋は成就しません色変へぬ松
夏の終わりに終わりはないあなたが好きだ
俳句です。
髙柳克弘『未踏』(ふらんす堂)
ことごとく未踏なりけり冬の星
桜貝たくさん落ちてゐて要らず
つまみたる夏蝶トランプの厚さ
うみどりのみなましろなる帰省かな
何もみてをらぬ眼や手毬つく
くろあげは時計は時の意のまゝに
刈田ゆく列車の中の赤子かな
亡びゆくあかるさを蟹走りけり
洋梨とタイプライター日が昇る
ダウンジャケット金網の跡すぐ消ゆる
野口あや子『くびすじの欠片』より
互いしか知らぬジョークで笑い合うふたりに部屋を貸して下さい
さみしさというばけものはひのおわりきみの番号(ナンバー)ひきつれてくる
ただひとり引きとめてくれてありがとう靴底につく灰色のガム
痛々しいまでに真白い喉仏震わせながら愛なんて言う
せんせいのおくさんなんてあこがれない/紺ソックスで包むふくらはぎ
待ち受けを空から海に変えている会いたくてしかたない夜である
言葉とかお前ほんとは嫌いだろきらいだろって闇を掻くひと
くびすじをすきといわれたその日からくびすじはそらしかたをおぼえる
雨降れば皆いっせいに傘ひらくはなやぎに似て去年(こぞ)の片恋
肘にある湿疹ふいに見せるとき目をそらさない君がいたこと
くびすじをなぞるいっぽんの指があり私はかたん、と傾いていく
光森裕樹『鈴を産むひばり』(港の人)より
鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ
風邪。君の声が遠いな。でもずつとかうだつた気もしてゐるな。風邪。
高木【かうぼく】の淡きこもれび自転車のタイヤに夏の風をつめをり
友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず
※それはレジストリに“Melissa?”といふ
痕跡を残す行方不明の少女を捜すこゑに似てVirus.MSWord.Melissa
ひたむきさが常にまとへる可笑しさのまざまざたるにわれは黙せり
或る友が世界に選ばれ或る友が世界を選びなほしたり、今日
だから おまへも 戦争を詠め と云ふ声に吾はあやふく頷きかけて
恥づかしくなき豊かさも貧しさも持ちえず歩く大空の底
致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ
【 】内はルビ
「それはレジストリに~」の行は、次の歌の詞書です
岸田将幸詩集『孤絶-角』(思潮社)
光森裕樹歌集『鈴を産むひばり』(港の人)
前者は高見順賞、後者は角川短歌賞受賞です。
皆様お申し込みをお願いいたします。
「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」もホームページもご覧ください。
http://siikaryouzanpaku.digi2.jp/
「わたし」です。
本年、角川俳句賞受賞の山口優夢、中原中也賞受賞の文月悠光など、いまもっとも注目される新鋭が、三詩型の現在を語ります。
取り上げる作品は、野口あや子『くびすじの欠片』、髙柳克弘『未踏』、御中虫の「第3回芝不器男賞受賞作品」、大江麻衣「昭和以降に恋愛はない」ほか2作です
詩歌梁山泊~三詩型交流企画
第1回シンポジウム「宛名、機会詩、自然」
10月16日(土)午後2時00分開場 午後2時30分開演
日本出版クラブ会館 鳳凰
住 所:東京都新宿区袋町6番地
TEL:03-3267-6111 FAX:03-3267-6095 HP:http://www.shuppan-club.jp/
JR飯田橋駅西口徒歩8分・営団地下鉄南北線、有楽町線飯田橋駅B3出口徒歩7分
都営大江戸線牛込神楽坂駅A2出口徒歩2分・営団地下鉄東西線神楽坂駅神楽坂口徒歩7分
料金:2,000円 終了後に午後6時より懇親会有(7,000円要予約)
1部 「ゼロ年代から10年代に~三詩型の最前線」
現在、最前線で活躍する10~40代の歌人、俳人、詩人が書く者の
視点から、具体的な作品に沿って三詩型の表現の「いま」を語ります。
歌人 佐藤弓生、今橋愛/俳人 田中亜美、山口優夢
詩人 杉本真維子、文月悠光/司会 森川雅美
2部「宛名、機会詩、自然~三詩型は何を共有できるのか」
「宛名」「自然」「機会詩」をキーワードに、日本語の三詩型がそれぞれに
持っている内在的な問題点をあぶり出し、クロスする地点を探ります。
藤原龍一郎、筑紫磐井、野村喜和夫 司会 高山れおな
第3部 懇親会(三詩型自由交流)
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主催 詩歌梁山泊~三詩型交流企画
後援 角川学芸出版・思潮社・本阿弥書店・邑書林
☆席に余裕はありますが念のためご予約ください。
お問い合わせと予約は、下記にお願いいたします。
懇親会は予約制です。
〒168-0064 東京都杉並区永福4-24-9 森川方
「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」
TEL&FAX:03-3328-3230
メール masami-m@muf.biglobe.ne.jp
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